今年の漢字 『偽』
今年の漢字が清水寺で発表・揮毫されましたね。
第一印象としては、「あまりにも希望がないなぁ…」というところでしょうか。
上位に入った漢字、全部ネガティブなイメージなんですけど^^;
でも、TVで拝見した貫主さまの「まことに恥ずかしい!」という言葉が、逆に何だかありがたく感じました。
今の日本の政治・社会全般の様々な出来事を見ていると、本当に「叱ってくれる人」が必要だなぁと思うんですよね。
本来なら叱られながら育って、大人は自分で自分を律するようになり、他者や目下を叱ることのできる存在になる筈なんですが、どうも最近はそうではないようです。
会社のトップが頭を下げる姿は飽きるほど見ましたが、そうなる前に果たして自分を律し従業員を叱ることができていたのかと思うこともしばしばです。
官僚がおかしなことをやっていたことが明るみに出ても、官僚を叱ることができる政治家はどうもいらっしゃらない様子。
叱ろうとすれば、「それはオマエの責任だろ!」と周囲が大騒ぎ。
問題の解決はちっとも進まないまま。
一方では、叱られた側も逆切れして、せっかく叱ってくれた相手を刺したりしますしね。
叱られた時に
「じゃぁオマエはどうなんだよ」
と、“自分が叱られた理由”をすっかり棚に上げて、叱ってくれた相手の落ち度をつらつらと論い、オマエなんかに言われたかねーよ、と反省することのない人の何と多いことか。
世の中、まったく落ち度のない人間なんていないっつーの。
挙句の果てには、「叱られた理由」を省みることなく、「叱られたこと」だけに気をとられてしまって悩みすぎたり「自分はもうダメなんだ」と絶望したり。
人間、叱られずに大きくなった者はいないんだと思い出すべき。
毎年1年を振り返るのは、本来、この1年自分はいかに過ごしたかを振り返ることだったのですが、いつの間にかイベント的なことが多くなってしまい、そうじゃなくなっているようにも思います。
今年は社会全体が反省すべき年なのかもしれません。
ねこねこも、しっかり反省すべきをして、すっきりと新しい年を迎えられるようにしたいと思います。
来年は、「再」とか「生」とか「実」とかの字が選ばれるような年であってほしい。
また「嘘」だの「恥」だの「滅」だの「憤」だのと選ばれるようなことがあったら、今度は貫主さまが憤死しかねません(笑)
まず反省。そして問題の解決にみんなで協力。
来年はそんな姿勢を大切にしたいものですね。
第一印象としては、「あまりにも希望がないなぁ…」というところでしょうか。
上位に入った漢字、全部ネガティブなイメージなんですけど^^;
■今年の漢字は「偽」=漢字能力検定協会
時事通信出版局 http://book.jiji.com/kyouin/cgi-bin/edu.cgi?20071212-51年の世相を漢字1文字で表す2007年「今年の漢字」が12日、「偽」に決まった。清水寺(京都市東山区)の「奥の院」で、森清範貫主(かんす)が、特注の和紙に揮毫(きごう)した。食品をはじめ政界やスポーツ界などさまざまな分野で偽装が相次いだ年を反映した。
発表は13回目。日本漢字能力検定協会(京都市)の公募で、過去3番目となる9万0816通の応募があった。
「偽」には投票の約18%が集中。身近な土産物や老舗料亭、年金記録、英会話学校、相撲などスポーツ選手にまで次々と「偽」が発覚し、「何を信じたら良いのか、分からなくなった1年」との声が寄せられたという。
2位は「食」、3位が「嘘」。4位以下には「疑」「謝」「変」などが続いた。
森貫主は「こういう字が選ばれるのは恥ずかしい。驚きどころか悲憤に堪えない。己の利ばかりを望んでいることが原因。神仏や親が見ていると思い、自の心を律してほしい」と呼び掛けた。
揮毫された漢字は、清水寺本堂で31日まで一般公開される。
でも、TVで拝見した貫主さまの「まことに恥ずかしい!」という言葉が、逆に何だかありがたく感じました。
今の日本の政治・社会全般の様々な出来事を見ていると、本当に「叱ってくれる人」が必要だなぁと思うんですよね。
本来なら叱られながら育って、大人は自分で自分を律するようになり、他者や目下を叱ることのできる存在になる筈なんですが、どうも最近はそうではないようです。
会社のトップが頭を下げる姿は飽きるほど見ましたが、そうなる前に果たして自分を律し従業員を叱ることができていたのかと思うこともしばしばです。
官僚がおかしなことをやっていたことが明るみに出ても、官僚を叱ることができる政治家はどうもいらっしゃらない様子。
叱ろうとすれば、「それはオマエの責任だろ!」と周囲が大騒ぎ。
問題の解決はちっとも進まないまま。
一方では、叱られた側も逆切れして、せっかく叱ってくれた相手を刺したりしますしね。
叱られた時に
「じゃぁオマエはどうなんだよ」
と、“自分が叱られた理由”をすっかり棚に上げて、叱ってくれた相手の落ち度をつらつらと論い、オマエなんかに言われたかねーよ、と反省することのない人の何と多いことか。
世の中、まったく落ち度のない人間なんていないっつーの。
挙句の果てには、「叱られた理由」を省みることなく、「叱られたこと」だけに気をとられてしまって悩みすぎたり「自分はもうダメなんだ」と絶望したり。
人間、叱られずに大きくなった者はいないんだと思い出すべき。
毎年1年を振り返るのは、本来、この1年自分はいかに過ごしたかを振り返ることだったのですが、いつの間にかイベント的なことが多くなってしまい、そうじゃなくなっているようにも思います。
今年は社会全体が反省すべき年なのかもしれません。
ねこねこも、しっかり反省すべきをして、すっきりと新しい年を迎えられるようにしたいと思います。
来年は、「再」とか「生」とか「実」とかの字が選ばれるような年であってほしい。
また「嘘」だの「恥」だの「滅」だの「憤」だのと選ばれるようなことがあったら、今度は貫主さまが憤死しかねません(笑)
まず反省。そして問題の解決にみんなで協力。
来年はそんな姿勢を大切にしたいものですね。
この記事へのコメント
>バレなければ、見つからなければ何をやってもいい、という風潮
その通りですね。大人から子供まで。
何しろ、子供を叱る大人が、
「あのお姉さんに怒られるから止めなさい」
ですから(笑)
自ら律することというのは、大人になっても難しい。
だから、道徳という「普遍的な指針」が存在することの意義は大きい。
でも、日本にはもはや「大人を律するだけの権威」というのがありません。
貫主さまには申し訳ないですけど、宗教も国家元首であるはずの皇室も、一方は一般生活からかけ離れすぎ、一方は一般生活に近づきすぎて、「指針とすべき規律(または、言葉は悪いけど小言)」がどこにもないのが現状です。
道徳教育をないがしろにしてきたことのツケなのでしょう。
私も『日本的仏教』(仏教と神道が融合して以降の信仰)を基礎にした教育を受けましたが、その頃は話半分で聞いていた先生の法話(校長先生以下幹部の先生は皆僧籍にある方たちでした)が、どれほど貴重なものかを今になって思い知っています。